草加市 稲荷町会 ホ−ムペ−ジ


                   稲荷町の歴史

1565年 永禄8年  慈尊院 開基
1603年 慶長8年  明学院 開基 修験道場
このころからこの地域に湿地開拓で住民が定着し始めた、この地域は「武蔵国埼玉郡八條領立野堀」と呼ばれていた。
1670年 寛文10年 徳川直轄領より土井能登利房の領地となる
1682年 天和2年  幕府直轄領となり明治時代なるまで続く
1710年頃 享保年間 世帯数は76戸を数えた
1836年 天保7年  「商売屋諸職人取調書上帳」によると
               小間物商売 3軒 質屋 2軒 豆腐屋 1軒 紺屋 1軒 鍛冶屋 1軒 飴・菓子・紙類・油小売商 1軒 綿打 1人 紙すき 1人 髪結い 2人
               農耕のみならず、商売も盛んになりつつある
1872年 明治5年5月   草加小学校の分校が慈尊院に創立、学区は後谷村、小作田村、松之木村、伊草村、立野堀村で生徒数は男25人女4人であった
1889年 明治4年4月1日 町村制施行により小作田村、松之木村、伊草村、立野堀村、鶴ヶ曽根村、八條村が合併し、「八條村立野堀」となる 
1958年 昭和33年11月1日 立野堀は北足立郡草加町に合併し、「草加市稲荷町」なる
                    稲荷町の命名は町内に稲荷神社が2社あったところから来ている



                  葛西用水の由来



草加市内随一の桜の名所であり、花見の時期には多くの人が見物に来ます
葛西用水は上の地図が現在の水路でありますが、工事は寛永6〜8年頃に始まり、源は利根川とし、葛西方面まで10ケ領、300ケ村、13万余石の水田を潤しましたが、近年は
農業用水としての役割は終え、周辺環境整備の為に草加市観光協会の名所づくりの一貫として昭和53年に224本の桜の木が植えられ、現在に至っております